時々すきなもの

  一番好きなミュージシャンは誰ですか? という質問は、困らないけど、ミュージシャンの人にとっては、難しい質問だと思う。

 その中でも、一年中好きだな、と思う人と、ブームがやってきては、去って行き、またやってくる人がいる事に気付いた。
 そのブームのシーズンオフの時に、「誰々は好きですか?」とそのシーズンオフの人の名前を出された時に、素直に、はい、と言えず、「ああ、はい好きです」 みたいになってしまうと微妙に嘘ついてる気持ちになってしまう。 
  打ち解けた仲間なら「今シーズンオフなんすよ」って言えるけど、言えない相手もいる。

 僕にとって、ベースのPaul Chambersが、オフシーズンのある選手である事が時々問題である。時々、全く興味わかなくて、はまったときにすごくはまる。Charlie Parkerもオフシーズンのある選手だったのだが、いつのまにか、一年中好きになってた。多分、猫タイプの人間なんやろう僕は。犬みたいに、好きなことに対して、先輩いつもあなたの事すきっす!となれないのかも。

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by super_masakikai | 2016-08-15 14:13 | Comments(0)

土地で鳴る音

その土地で鳴りやすい音、その土地でしか鳴らない音というものがあると思う。

どこかの土地の音楽、儀式のような音楽は、持ち出す事が不可能で、その土地ありきでその音楽が存在するらしい。

僕にとって、その土地でしか鳴らない音楽というのは、ノルウェーのオスロでよく聞いた Radka Toneffの”Fairytales” と Keith Jarrettの”My Song"である。

日本で聞いても、もちろんいいアルバムだと思うけど、何故かこの二枚は鳴りが違う。
オスロの空気がそのまま録音されてしまったようなアルバム達。

Radkaのアルバムはノルウェーで聞いていると、どこか、30歳で命を断った、彼女の心のようなものとリンクするような気分になる。死にたいというのではなく、そのまま、ノルウェーの自然の音に溶けていきたくなるような。
そして、どこか昔Radkaに会った事のある気持ちになる。

keithのMy songの最後の Journey Homeという曲のイントロも、本当にオスロの、秋、冬の空気のようなものが、パックされているきがする。

一度、オスロを訪ねたなら、この二枚を手持ちのプレーヤーに入れて聞いて見て欲しい。

この土地でしか鳴らない音、の”土地”
というものを自分の身体に置き換えてみたらどうなるのだろう、とふと思った。
自分の身体という”土地”でしか鳴らせない音、土地とリンクしている伝統音楽の儀式のように、外に持ち出す事ができない音楽。その土地の空気が沢山流れてしまってる音楽。
身体の中。

多分、そういうものはあるんだろう。多分。



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by super_masakikai | 2016-08-06 01:43 | Comments(0)